就活の意思決定をするにあたって大切なこと

就活における最後の重要なステップ、「意思決定」について書いてみようと思います。
 

突然ですが…就活と大学受験の違いは何か?

まず唐突ではありますが、考えてみてください。
「就活が、大学受験や学校の定期試験と決定的に違う点を1点挙げよ」
と聞かれてどう答えますか?


答えは、
「答えが無い」ということ(紛らわしい表現ですいません💦💦)

答えが無いということはどういうことか、
つまり、

「自分以外に採点者がいない」

ということです。

この企業に入社できれば何点で、この企業だと何点といった基準は全くないのです。
ええ、全く。

このことに気付いているか、つまり、企業の選択を自分なりの採点基準で行うのか、それとも他人の採点基準に基づいて行うのか、というのは、就活を成功して終えるために決定的に重要だと考えます。

極論すれば、
どの企業に入社するか、よりも、どういう基準で決めたかの方が重要だ、と言ってもいい。


どうしてそこまで言えるのか?


それは就活生の方々が今後社会に出て自立すると、それ以降あらゆる意思決定は、
「答えがない=自分以外に採点者がいない」からです。

「答えがない」ことの一つ目の説明は、例えば仕事でうまく行って業績が上がったとしても、「もしかしたら他のやり方だともっと業績が上がっていた」可能性や「その業績が競合他社を刺激して長期的に見ると会社のマイナスの影響につながってしまう」可能性は否定できず、原理的に「満点」というものをつけようがない。
試験や実験と違って、「全く同じ条件下で再現する」ということが動的な社会の中では不可能である、ということに由来します。

そしてもう一つの説明は、
異なるベクトルの採点基準が同時に複数存在すること。
つまり、
・営業成績を取るべきか顧客利益を優先すべきか
・仕事をとるか家族との時間をとるか
・出世をとるか同期との友情を取るか
・給料を下げてでもやりたい仕事に転職するか
といった、
「何かの採点基準に従って点数をあげれば他の何かの点数が下がる」状況に幾度となく直面することになるということです。

また今後は個人の生き方が多様化し、同時に幸福度における貨幣の価値が徐々にさがっていくことで、
・本業は18時に終えて副業で稼ぐ人
・お金が無くても不自由なく暮らせる人
・ハードワークして幸せな人・週休4日で幸せな人・結婚して幸せな人・結婚しないで幸せな人・都会に住んで幸せな人・田舎に住んで幸せな人・海外に住んで幸せな人…など、

「こんな生き方こそが幸せです」といった生き方の画一化されたモデルケースがどんどんなくなっていく(既に無いのですが)。

それと同時に、
少子高齢化・人生100年時代・年金制度の崩壊・日本型終身雇用制度の崩壊といった社会情勢の変化によって、

「こんな生き方出来たらとりあえず安定ですよね」といった安定のモデルケースもどんどんなくなっていく(既に無いのですが)。


これが
答えがない、

つまり、

自分以外に採点者がいない、
採点の基準がない、


そんな現実の世界です。
   

長い人生において、たかだか就活の意思決定がそんなに重要なのか?

他人の期待や他人の採点基準ではなく、自分なりの採点基準で生きた方が楽しいのではないか?
そんなことに気づくタイミングは人それぞれです。
もちろん大学生のタイミングでそれに気づく人もいるし、それよりもっと前に気づく人もいます。しかし社会人になるまでそのようなことを考えたこともない人が多いのは、比較的周囲の期待のベクトル(=採点基準)が一致していたからでもあります(つまり、例えば親の期待と学校の先生の期待が180度真逆である、というケースはレアケースです)。

そんな多くの人たちにとって、就活というのは、
「他人の採点基準で生きるか、自分の採点基準で生きるか」という「生き方の選択」を強烈な形で迫られる重要な通過儀礼(イニシエーション)とも言えるものです。


〝就活でできなくても、社会に出てから徐々に考え方を変えていければよいではないか?″

そうです。転職も当たり前のこの時代。就活だけが重要なわけではない。理屈ではその通りです。

ただし現実には、就活を終えて新入社員として企業に入社した瞬間、「企業の採点基準」という強い磁場が再び生まれ、その採点基準に抗って行動することは再び難しくなります。

もちろん、企業は社員にモチベーションを持って働いてもらうために統一の採点基準を設けることは理にかなっていますし、それに従って仕事をすることは何ら悪いことではありません。

このようにして再び、新入社員たちは「正解のある(ように見える)」世界に放り込まれるのです。


ところが現代社会はそんなに単純ではない。
前半で書いたように、
・営業成績か顧客利益か
・本業か副業か
・仕事か家庭か
・出世か友情か
そんな二律背反に直面するうちに、

「会社の期待に応えることだけが正解ではないのではないか?」
「採点基準は実は一つではないのではないか?」

といったことに、徐々に気づき始める。自分の経験と周囲の人の話からするに、どうやら20代の後半あたりでこういうことを考え始めるケースが多いようです。
そして同じ悩みは徐々に増幅しながら、断続的に若者の進路を悩ませ続けます。

ここに至ってどのように自分の進路を定めるか、
大きく二つのタイプに分かれます。

一つは、
ベクトルの異なる様々な他人の期待値(採点基準)を満たそうと奮闘する
タイプ。

もう一つは、
他人の採点基準を満たすことは辞め、もはや自分の内にある採点基準(価値観と言ってもいいし信念と言ってもいい)に従って生きようと決意する
という、二つの生き方です(転職するか現職に残るか、という話では必ずしもありません)。

二つの生き方の、どちらがいい・どちらが悪い、という言い方はしたくないですが、おそらく前者の生き方では現代社会に適応するのが難しい。というか苦しい。とりわけ採点基準が無数に増えると同時に、どの採点基準にすがっても人生の安定が約束されるわけではない時代においては。

ところが一方で後者の選択をするには、勇気がいる。これまで行動の拠りどころとしてきた他人の採点基準に背いて自分の内なる価値観ないしは信念のみに従って行動するのは、
例えるなら中間テストの最中に答案をビリビリに破り捨てて教室を飛び出すくらいかそれ以上の勇気がいる。

そしてその勇気を与えてくれるものは何か、

それは、

「過去、自分の内なる採点基準に従って意思決定をした自分自身の経験」
だと思うのです。

それで話は戻るのですが、
今までにそういった経験をあまりしてこなかった学生の方にとっては、

就職活動が、またとないチャンス
だということです。

だから、就職活動では是非、自分なりの採点基準で、意思決定をしていただきたい。
何としても。

「親の期待に応えることこそが自分自身の今の採点基準にとって重要だから」と納得して決めるならそれでも結構。
単に、「親がそうしろというのでそうします。」というのとでは天と地ほどの違いがあります。

悔いのない意思決定になるかどうか、
は正直わからない。後悔するかしないかは、どちらかというと意思決定した後、つまり入社後に自分がどれだけ頑張れるかで決まる部分が大きい。

だから今できることは、
「自分なりの採点基準で、自分の意志で、自分の信念で」
意思決定をして欲しいということ。

それが就活生へのアドバイスであり、この仕事をしている私の願いです。

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